KOH 香松本の香水アトリエ・国産八素材
04調香の覚え書

春、夏、秋。
机の上の素材ばなし。

調香師が仕事の合間に書いています。

春2026.03.14

2026.03.14

白椿は、においが弱い

白椿のマクロ。花弁に水滴が付いている

白椿のマクロ。花弁に水滴が付いている

白椿の香りを初めて嗅いだ人は、たいてい首をかしげる。花屋に並ぶ花のなかでも、椿はほとんど匂わない。鼻を近づけて、やっと、冷たい水のような気配がある程度だ。

それでも定番の一本を「椿」にしたのは、弱いことが調香には向いているからだった。強い花は、ほかの素材を食べてしまう。椿は、柚や檜のあいだに入っても形を崩さず、空気の湿り気だけを変える。

長崎の農家から届く花は、朝のうちに摘んで、その日のうちに抽出に回す。花びらは触れるとすぐ茶色くなるので、受け取った日は床にシートを敷いて、三人で花から萼をはずす。一キロの花から取れる香りの原料は、スポイト一本にも満たない。

香りが弱い花ほど、量ではなく、置く場所で決まる。

体験に来た方に白椿のムエットを渡すと、半分くらいの人が「何も匂わない」と言う。三十秒後にもう一度嗅いでもらうと、「あ」と声が出る。椿の香りは、遅れてやって来る。その遅れの長さを、ピラミッドのどの段に置くかで調整している。

春のうちは、手首より衿元がいい。体温で開く花なので、薄着の季節は少なめで足りる。

夏2026.06.20

2026.06.20

梅雨の苔と、石の匂い

苔と石のマクロ

苔と石のマクロ

アトリエの裏に、三坪ほどの庭がある。梅雨に入ると、石の割れ目に苔がふくらむ。

苔の香りは、乾いているときはほとんどない。雨が降ったあと、半日だけ、土と石の匂いが立つ。雨上がりのアスファルトの匂いに近いが、苔はもう少し緑で、湿った木の皮のような渋さがある。

香水の土台に使うときは、数滴単位で量る。多いと、香り全体が暗く沈む。少ないと、檜の甘さだけが残って、単調になる。定番では椿と檜に入れていて、椿のほうが、苔の存在を感じやすい。

いちばん静かな素材が、いちばん長く残る。

苔は庭の手入れで間引いたぶんだけを使うので、量は年によって変わる。今年は例年より少なく、六月の終わりには在庫の目安が見えてきた。足りなくなったら、その月の椿は少し軽くなる。同じ名前の香りを、毎年少しずつ違うものとして出している。

雨の日に試香に来る人は多くない。けれど、苔の香りがいちばん分かるのは、雨の日の午後だ。傘を畳んで入ってきた人の肩のあたりから、土の匂いがする。その状態で試してもらうと、苔の入った椿は、よく馴染む。

秋2026.10.15

2026.10.15

木曽で檜を削る

削った檜の薄片と角材

削った檜の薄片と角材

十月の頭に、木曽の製材所へ檜の端材を受け取りに行った。間伐で出た枝と、板を取ったあとの端。軽トラックの荷台いっぱいで、帰りの一時間は、ずっと車内が檜の匂いだった。

檜の香りは、削った面でいちばん強い。鉋をかけると、白く透ける薄い帯が出て、その瞬間に甘さが立つ。数分で、その甘さは消える。蒸留に回す木は、乾かしすぎないよう、受け取った日に細かくする。

蒸留には八時間かかる。最初に出てくる水は、ほとんど匂わない。二時間目あたりから、白く濁った水に油が浮いてくる。そこから先は、時間をかけるほど、木の奥の少し苦い香りが混じる。どこで止めるかは、毎回、鼻で決めている。

削った瞬間の甘さを、八時間後に、もう一度探す。

来月からは柚の収穫が始まる。柚は檜と逆で、時間が敵だ。皮が乾くと、あの冷たい甘さが飛ぶ。十一月の前半は、体験の枠を少し減らして、搾る日を作る予定にしている。

—次の記事

次は、柚の搾りの日のこと。

この覚え書の更新は、季節ごとです。体験の予約状況は予約ページで確認できます。